考える人といじめる人

筆者は沸点がそんなに低い方ではなく、イライラすることもあまりありません。

ひとつは元から割とのんびりとした性格であることと、もうひとつはおそらく怒りを抑圧しやすい傾向があり、本当は激しく怒っていても、それを無意識に追いやってしまうため自覚できないことによると思います。

多少乱暴なことを言われても、そこまで腹が立たないのと、喧嘩をするのが得策ではないと思っているのとで、笑顔でやり過ごしてしまうことが多いです。


このことについて、人により捉え方が異なり、起こす行動も異なるという点について、述べようと思います。


筆者は小さい頃から小学校まで、いじめやからかいをよく受けました。

その頃は暴力による抵抗ができた年齢なので、どうしてもというときはケンカにより解決していました。

中学以降はぱったりといじめやからかいはなくなりましたが、30歳を過ぎた頃、約20年ぶりに、職場で苛烈ないじめに合うことになりました。


いじめの内容は別記しますが、いじめられた原因の最たるものは、筆者が「反撃しない」と目されたからだと思います。


これに気づいたのはその後、大学の部活のOB会で当時の先輩との何気ない談笑の中ででした。

「お前は穏やか過ぎて、当時は絶対怒らせたらマズいヤツだと思ってたよ(笑)。それに、お前を怒らせるなんて、相当ヤバいことしでかさないと無理だしな!」

武道系部活動なので多少荒々しいやり取りは常にあったのですが、もう少し話を聞いてみると、どうやら先輩達は筆者が反発しないこと、穏やかであることを「本当は腹を立てているから、やりすぎてはいけない」とか、「コイツが実際に反発するようなら、 その行為は度を越している」という風に捉えていたようでした。


この時、反撃してこない穏やかな人物に対して、「本気で怒らせることをしてはいけない」と考えるか、「反撃しないのでいくらいじめてもいい」と考えるかという、少なくとも2パターンの判断様式があることに気づきました。


同時に、後者の人間にはきちんと反撃しておかなければならなかったと反省しました。

前者と後者には、同じ態度を取ってはいけなかったのです。


誰にでも気を遣ってしまうタイプの方の中には、気づかないうちに自分を傷つけるタイプの人にも気を遣ってしまい、つけ入られて被害を受けた経験がある方も多いと思います。

こちらはトラブルを回避するために気を遣ったり我慢したりしているにも関わらず、「無抵抗な人に狙いを定めていじめたい人物」にはそれが「ターゲットのニオイ」として捉えられてしまいます。


反撃されようが周囲から責められようが、執拗に気に入らない人物を攻撃し続ける人もいるにはいます。

ただ、いじめをする人物の最大のモチベーションは、「反撃されないこと」なのです。


もし職場で、なぜかほかの人には害を加えず、自分にだけ攻撃をしてくる人がいたら、反撃してみることも解決策になり得ます。

ひとつポイントを付け加えるなら、ほかの人とは和やかな関係を保ちつつ、当該の人物にだけ極端に、かつ執拗に不躾に振る舞い、「あなたに反撃をしていますよ」と分からせることが重要だと思います。


帰ってきたひきこもり

不登校・留年・中退・長期ひきこもりを経て、35歳で準公務員に受かり、二児の父になったはなし。