筆者は現在の官公庁でパートを始める前は、福祉の資格を活かして福祉施設に勤務していました。
結果的にはこの施設に勤務したことで常勤職員という肩書ができ、結婚することができたので、筆者の人生にとって非常に恩恵の大きい職場でした。
一方で、入職間もなくから非常に苛烈ないじめを受けました。
最初は、些細なマウンティングから始まったような気がします。
マウンティングをされたところで、福祉業界一年生の筆者はそれがどれくらい凄いのかよくわからず、素直に感心するフリをしていました。
そのうち先輩職員から「福祉の仕事はそんなに甘いものじゃない。もっと仕事ができてもらわないと困る。」という圧力が加えられるようになり、どんどん業務外のことを任され始めました。
そしてそれら一つひとつの至らない点をあげつらわれるようになり、そこから徐々にいじめに発展していきました。
残業中に最後の一人になったとき、先に上がる先輩職員に事務所の照明を消される。
駅の出入り口で大勢の人が行き交う中、大声で叱責される。
行事に参加している住民どうしのざっくばらんな会話の逐語記録(対象者の発言を取捨選択したり要約したりせず、全てそのまま書き取る様式の発言記録)を取らされる。その逐語記録は特に何にも活用されない。
筆者のデスクの横に椅子を漕いできて、3時間半休みなく暴言を言われ続ける。
筆者の業務について常々「意味がない」「向いていない」と繰り返し言われる。
夜、施設長が帰宅した直後に突然緊急の多職種連携会議が招集され、筆者の吊るし上げが始まったこともありました。
本当に枚挙に暇がありません。
入職してすぐの筆者は、福祉業界数十年の先輩職員から見れば「仕事がまだわかっていない」=「使えないヤツ」=「いじめてもいいヤツ」ととらえられていました。
この職場で元々ボロボロだったひきこもり明け直後の筆者は更に粉々になり、通勤電車の中や夜中に突如意味もなく泣くようになり、自己都合で退職することになりました。
ひとつ、あの時受けたいじめに原因があるとすれば、「共通の敵」を作ることで得られる結束力のスケープゴートにされてしまった、という点があげられると思います。
集団でいじめを行った職員たちは高齢者支援部門所属で、筆者は地域活性化部門の所属だったのですが、地域活性化部門の常勤職員は筆者ひとりだけだったので、高齢者部門の結束維持に利用されてしまった可能性があります。
それともう一つ大きな要素は、筆者が反撃しなかったからです。
これについては、猛省しています。
いじめにはリーダー格がいて、そのリーダーと親しい、あるいはその下に着いていれば、筆者を自由にいじめる権利を得ることができる、というモデルも存在していたように思います。
またこの高齢者支援部門の職員は障害福祉分野出身の施設長に反発しがちであり、施設長の業務命令に素直に従う筆者は「敵」だったのかもしれません。
共通の上司に相談したこともありましたが、「数少ない常勤職員どうし、意見が違うことがあっても、しっかりと連携してもらわないと困る。みんなで力を合わせて頑張ろう。」と言われるばかりでした。
なお、筆者が退職したあと、新卒採用も含めて4~5人が後任で入り、2年ほどの間に連続して退職したと聞いていますが、同じような行為があったのではないかと推察しています。
最終的にいじめを行っていた高齢者支援部門の職員数名は同士討ちを始めて全員退職し、筆者が退職した2年半後には施設長含めひとりも元のメンバーが残っていない状態になったようでした。
その福祉施設ではいまも常時求人を出しているようです。
それにしても、「照明を消す」とか「数時間暴言を言い続ける」といった行為は、子供じみていたり、狂気じみていたりしていて、離れてから思い返してみれば、かなり病的にも思えます。
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