これまでの記事の中で唐突に筆者の障害のことなどが出てきて、流れがよくわからなくなりそうだったので、少し時系列で述べておこうと思います。
別記の通り、筆者は高校生のころに妄想や強迫の症状が出始め、大学生の時期に重症化し、大学院生で限界に達して不登校となり、ひきこもるようになりました。
→発病したころのこと
大学院を休学する際に診断書が必要となり、主治医に依頼したところ、診断名が統合失調症であることと、告知はされないながらも実は大学生のころからずっと統合失調症の診断がなされていたことを知りました。
このときはまだ、「どこかのタイミングで修士号を取り、2〜3年遅れくらいで新卒採用で大きめの企業に行く」という目論みがあったのと、自分の病状についても「重めの神経症のようなものだろう」という考えがあったので、自分の将来を揺るがす恐れのある診断名に非常にショックを受けました。
程なく地元に戻って養生するためにその病院への通院をやめ、しばらく医療にかかりませんでした。
通院も外出もなく自室にひきこもったままの生活をしていましたが母の勧めでまた通院することになりました。
筆者の両親は公務員で、母は公衆衛生関連の部署にいたのですが、そこの元上司が精神科医でした。
母は筆者の状況を元上司に相談したところ、「自分のクリニックは患者がいっぱいでもう診られないが、実力のある医師がX市のクリニックにいる。息子さんの学校とも近いから、いずれ復学することも視野に入れてX市の医師を紹介する」とのことでした。
X市は筆者が通い、途中不登校に陥った大学院がある街で、実家からは電車と高速バスの乗り継ぎで片道5時間ほどかかりました。
筆者は往復10時間かけて、多いときで週2回通院することになりました。
ここでの治療の詳細はまた別記しますが、新しい医師の専門は精神分析でした。
初診から数週間で筆者の病状の見立てを述べ、統合失調症ではなく強迫性障害と診断しました。
ただ、この頃にはやや影を潜めていたものの、特に高校〜大学時代は妄想等の統合失調症の気配が強く、当時の医師もそう診断していたので、今となってはそうだったのだろうと思っています。
筆者は再び精神医療にかかることとなり、ここから10年以上かけてじっくり精神分析に基づく治療を受けることになりました。
途中医師の留学や自身の転居のため転院もしましたが、概ね同じ方向性を保った治療を現在も継続しています。
なお、障害についてですが、筆者は30歳のときに就労の一助になるかもしれないと思い、手帳を申請し、取得しました。
殊に精神障害については中途障害であることが多く、どのタイミングで「障害を負った」と言うべきなのかも非常に曖昧なのですが、手帳の取得をもって障害者となるとすれば30歳のときですし、病気によって日常生活に支障を来すことにより定義するならば高校生のときにすでに障害を負っていたことになります。
発病から10年以上経て、就労支援を受けるという目的に基づいて自発的に障害者となったという側面もあるのかもしれません。
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