福祉の仕事で心身ともにボロボロになったあと、ひとまずのつなぎとして、とある国の機関の嘱託職員としてアルバイトを始めました。
理由は二点あり、一点は障害者就労支援機関の勧めがあったことと、もう一点は時給が良いことでした。
最近は人手不足で民間のアルバイトの時給はかなり高くなりましたが、筆者が働き始めたころはまだ不況で、1,100円ほどの時給でもかなり高給でした。
仕事は事務補助で、いわゆる「区役所の事務のおばちゃん」といった感じで、前職と比べるとかなり負担が軽かったです。
責任がかかる業務は正規職員がやり、筆者は検算、ファイリング、窓口対応、電話対応等を主にしていました。
前職の実質的な時給は総支給で800円ほど(最低賃金割れ)だったので、単価も一気に上昇しました。
現場も前職のように殺伐としておらず、大変な業務もなぜかみんな心に余裕を持って対処していました。
他人の悪口も滅多に聞かず、和やかな雰囲気の中で業務に当たるうち、病状はどんどん改善していきました。
あっという間に1年あまり勤務しました。
業務内容が面白かったので、嘱託職員だてらいろいろと勉強し、係の業務が全般的にかなりこなせるようになっていました。
それから、心身の健康を取り戻したことで体調や日常生活が整い、遂には第一子が誕生していました。
この官公庁は本来、公務員試験に準じた統一試験に合格しないと正規職員には応募できず、筆者は年齢制限をかなりオーバーしていたので統一試験を受けられなかったのですが、内部登用試験を別途実施しており、時折若干名の採用がありました。
ちなみに、「国立◯◯機構」とか「独立行政法人◯◯センター」といった名称の組織は国の機関ですが、そこに勤務している職員は一連の小泉改革の中で【非公務員化】が行われ、現在は純然たる国家公務員ではなくなっています。便宜上、準公務員と呼ばれることがあります。
筆者は元々若い頃は公務員志望でしたが既にその願望は枯れ果て、「どうしても公共の仕事がしたい!」という執念は無くなっていたのですが、単純にやっている仕事に前職以上のやり甲斐を感じたので、公務員試験の勉強に33歳で一から取り掛かりました。
1回目の登用試験は2次で不採用となりましたが、さらに1年業務と勉強に努めた結果、何とか合格することができました。
初めてのアルバイト就労から8年、ひきこもりを辛うじて脱して5年、初めての正規職員就職から4年が経ち、35歳になっていました。
しかし、遅すぎるとは思いませんでした。
「やっと始まる....」という思いでいっぱいでした。
今の職場では過去にもっと上の年齢で登用された方もおられましたし、自分よりずっと若くても尊敬できる先輩がたくさんいたので、35歳という年齢はさほど気になりませんでした。
むしろ「案外早かった....」とすら感じました。
その後、10歳以上年下の先輩たちに叱られまくる情けないおっさんとしてチビチビながら仕事を覚え、いつの間にか第二子も生まれ、現在に至ります。
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