居場所を拠点に社会参加

本稿の経験は筆者にとって物凄く重要でした。 

この経験がなければ、筆者はいまも永い永いひきこもり生活のさ中だったことでしょう。 


「居場所に通いながら社会参加を進める」という方法は、ひきこもり問題の解決に係る新しい定石のひとつになりうるのではないかと、いつも思っています。  


初めて居場所活動に参加して「ひきこもり状態でもがいている人間は自分だけではなかった!」ということを知ってから、その居場所活動に継続的に参加するようになりました。 


その居場所活動は週に1回程度のペースで開催されていて、最初はその週に1回のために体調や睡眠を整えることを始めました。  

何せ体調も睡眠もガタガタだったので、週1回のその日に焦点を絞って「その日に体調を崩さない」ことに注力して過ごし、3日ほど前から気持ちの準備を整え、前日は早めに寝て当日は早めに家を出ました。 楽しい反面体力も使うので、終了後はすぐ帰ってばったり倒れて眠り、翌日に響くこともけっこうありました。 


数ヶ月すると「週に1回体調と睡眠を整える」ことがルーチン化してきて、そこまで神経を使わなくても自然とできるようになり、安定して通うことができるようになりました。

ただ、まだまだ「しゃべっているだけ」「楽しんでいるだけ」という後ろめたさがあり、「週に1回体調を整えること」ができるようになったのが、どれだけ大きな回復かという点には、全く気付いていませんでした。 

いま思えば、本当は、重篤なひきこもり当事者が週に1回どこかに出かけて、数時間楽しくしゃべって過ごせるようになることは、偉大なことだったのです。 


通い始めて数ヶ月したころ、「アルバイトに挑戦してみよう」と思えるようになりました。 

厳密には、「アルバイトなんて無駄だ!早く大学院を修了して次のステップへ進まなければ!」という頑なな態度が「アルバイトでもいいから、何かもうひとつ新しいことを始めてみてもいいんじゃない?」ぐらいに軟化してきた、というのが実態で、「居場所活動がトレーニングになって心が鍛えられた」ということは一切ありません。 


「常に正しく、きちんと、大活躍していなければ」という頑なさは、「自分など最低な堕落者・落伍者だ」という自責と、間違いなく表裏一体です。  

頑なな人間は何かの躓きで自分を許せない状況になると、必ず強い自責に巻き付かれて身動きができなくなり、できない→自責→もっとできなくなる→自責という負の連鎖に陥ります。 


居場所活動に参加するうち、その頑なさが「自分みたいに何もできてない人、たくさんいるんだなぁ~」という新鮮な気付きにほぐされ、自分を縛っていた鎖がガラガラと瓦解し、負の連鎖が終わりました。  

そして、「何でもいい、もう一歩だけ前に進んでみたい」という思いが滾々と湧いてきました。  

「進まなければならない」という観念に駆られての前進ではなく、「進んでみたい」という意欲による前進が始まった瞬間でした。 


まだ長い不況の時期でしたが、アルバイトはどこも不足していたらしく、応募してすぐに決まり、勤務が始まりました。  

それからしばらくは週に数日アルバイトをしましたが、居場所活動の日は必ず外してシフトを入れるようにしました。


 日常の勤務でささくれる心を、居場所活動に立ち寄ることでメンテナンスし、完全にオフの日はしっかり休むことで、しばらくアルバイトを続けることができました。  


結局、まだ体調が万全ではなかったことと、若干ブラック寄りの労働環境だったこともあり、最初のアルバイトは1年弱で辞めざるを得ませんでしたが、就労という大きな一歩を踏み出すことができました。  

自立して生活できるには程遠い収入でしたが、「自分は賃金を得て働くことができる」というという自信を初めて手にしました。  


記事の標題は「居場所を拠点に社会参加」としていますが、厳密には居場所活動に参加した時点ですでに社会参加を果たしていると思います。  


そこを拠点に「社会参加の幅を広げる」ことが、ひきこもりからの回復における【安全な近道】として、新しい定石となりうると筆者は考えています。  


「社会復帰」という言葉には賛否あるかと思いますが、それ以前に「ひきこもり状態から“就職活動”という1モーションだけを経て安定収入のある正規労働者になる」という、従来の回復モデルは、実際にひきこもり状態から抜け出した筆者からすると、途方もなく困難で、相当な幸運がないと成功しえないものだと断言できます。 


「本当に少しずつ、徐々に徐々に社会参加を拡大していき、いつの間にか安定した生活に至り、さらに安定度を増していく」というのが、筆者が経験し、かつ他者にも推奨しうるひきこもり脱出経路です。  


「社会復帰」自体が「社会参加の拡大」の中に包埋されていたほうが、余計なハードルを感じなくて済みますし、結果的な達成度も高くなると思います。 

なお、何をもって・どの時点で「社会復帰」とするかは、本人の納得度で決まるべきだと思います。そのラインが親側の希望と一致する必要はありません。


また蛇足として、その過程での無理のない経験によって、大人に必要な社会性も徐々に涵養されれば、より良かっただろうな、というのが振り返ってみて思う理想です。 

帰ってきたひきこもり

不登校・留年・中退・長期ひきこもりを経て、35歳で準公務員に受かり、二児の父になったはなし。