ゲリラの流儀

適切な例えかどうか分からない部分もありますが、社会生活を戦いに例えてみるとして、新卒採用で正社員になり、主に総合職として安定した立場で活躍している社会人を正規軍人とした場合、不登校や中退等でそのルートを外れて無職および非正規労働者となった筆者のようなタイプは、非正規軍人、ゲリラという立場になると思います。


実際には労働者の構造はこのようにあっさりと二層に分かれるものではありませんが、自分が後者の立場になると、前者のような正規労働者が象徴的な対極に見えました。

ゲリラたる筆者からすると、正規軍人たるエリート社会人たちは羨望・憧憬・憎悪と言った複雑な感情の対象であり、かつ、直接的な階層移動ができない「向こう側」の存在でもありました。


しかし、退学してしばらくした頃から、「エリートコースに今更戻ろうとしたり、真似事をし続けていても、埒が明かないのではないか?」と気づきはじめました。

もはや正規軍人のルートから外れ、いちゲリラになったのだから、ゲリラ戦法に徹してみよう。

ゲリラは保障がない分、色々と自由です。制約に囚われずに、いろんなことに取り組むことができます。

まさに、遊撃です。


守りではなく、攻めの姿勢で新しいことに挑戦できることも強みです。

そして、無駄な思いこみやプライド、しがらみに囚われずに済むので、気持ち的に楽です。


「従前の方針を捨てて楽になる」というのは、一見堕落のように感じられますが、単に「どうなってもいいや、楽しよう〜」というのとはかなり違う感覚です。

「こだわりは捨てて、ゲリラなりに頑張ろう〜....」くらいの感じです。


そもそも、社会人特有のリテラシーや一般常識の中には意味のあるものもありますが、【しがらみを守るためのしがらみ】のような案外しょうもないものも結構あるのです。

社会人稼業に身をやつし過ぎた人たちがプライドを守るための装置だったり、仲間どうしであることを確認するための合言葉みたいなものだったりします。


なお、筆者はゲリラとしていろいろ試しているうちに、いまは官公庁に職を得て立場上はあまりゲリラっぽくなくなりましたが、中身はほとんど変わっていません。

何せ同期入庁はひと回り以上も歳下(しかも出身大学が同じだったりする!)です。

彼らが「そろそろ課長補佐級に挑戦するぞ!」という円熟した中堅になる頃には、筆者なんかもう定年退職です。


そんな同期たちと出世を競うまでもないので、庁内ゲリラとして引き続き遊撃的なスタンスで、ユルいおっさん新人としてやっています。

「今日も10歳以上歳下の先輩にいろいろ怒られちゃったけど....ポンコツなりに真摯に頑張ろう〜」

帰ってきたひきこもり

不登校・留年・中退・長期ひきこもりを経て、35歳で準公務員に受かり、二児の父になったはなし。