アニメや漫画から得る人生訓

アニメや漫画のセリフから得た人生訓や受けた影響は、稚拙で軽いものだと言われるかもしれませんが、筆者はひきこもり期間に見たアニメ・漫画等から一生ものの学びやひきこもり脱出のきっかけを何度も得たので、決して軽視すべきものではないと考えています。


アニメや漫画が子供じみたものであり、真の学びは活字や古典の中にだけあるという考えは、それ自体が教条的であり、私たちを苦しめ、私たちを自室の奥底に追いやってきたもの類なのだと思います。


当事者の方にはそれぞれ、心に響いたアニメ・漫画・ゲームなどがあるかと思います。同様に筆者にもたくさんあり、そのうち特に印象深い2つを紹介させていただければと思います。


■「僕は....いい者だ....」

by20世紀少年・サダキヨ


筆者はかつてかなり頻繫に希死念慮に襲われており、実際に自殺未遂もしています。

「ああ....うまくいかない」と思い始めると、思考が負のスパイラルに陥り、最終的になぜか「死ぬしかない」などと思い始めるのです。


というのも、筆者は幼いころから何事についても「自分は必ず間違いを犯す」という不全感を持っており、何事もうまくいかないことのほうが自分にとって自然であり、果ては人生そのものも悪い結末に直結している、その確定的な結末の前で無駄なあがきをしているという感覚を持っていました。


「どうせ不幸にしかならないのなら、いま死んだほうが苦しみが少なくてトクだ」と思うと、自然と気持ちが死に向かってしまうのです。


ある資格試験の勉強をしていたときも、御多分に漏れず「きっと不合格だ。資格も取れず、就職もできず、僕は彷徨った挙句惨めに死ぬのだ」という思いに駆られていたのですが、そのとき目にしたのがサダキヨのこのセリフです。


サダキヨは“ともだち”の手先として活動していましたが、元々ヒーロー願望があり、自分のしていることが「いい者なのか?悪者なのか?もしかして自分はいま悪者になっているんじゃないのか?」という葛藤を抱いているキャラです。

しかし物語の中で「“ともだち”は悪者であり、そこに与している自分もまた悪者になっている」という結論に達し、「やはり自分は悪者ではない、いい者になりたい」という思いから“ともだち”を道連れに死ぬ道を選びます。最後にひと花だけ咲かせるダークヒーローなのです。


サダキヨの中のいい者=善玉=ヒーローの在り方とは、正しいと思う結末を斜に構えずに肯定し、そこに向けての具体的なアクションを起こす態度であると、筆者は感じました。

このセリフに感化されて筆者は資格の勉強を再開し、合格し、その後の流れにつながる先鞭を付けることができたように思います。


■「今 流れている時と歴史は あなたたちにつながっていない!」

byジパング・草加拓海


筆者がひきこもりから脱するきっかけとなったセリフです。

筆者は大学院で研究活動をしているうちにひきこもり状態に陥ったのですが、心のどこかで「有名大学の大学院を修了して、大手企業か官公庁に就職する」という漠然とした将来イメージを捨てきれずにいました。


これはもしかしたら、「ジパング」に登場する護衛艦みらいの乗組員たちが抱いていた「いつか現代日本に戻れる」という淡い期待に重なるのかもしれません。

しかし、「ジパング」の舞台は現代日本とはつながっておらず、パラレルワールドとして別の世界になっていきます。


筆者も大学院は退学し、30歳を超えていて、もはやとっくに「有名大学の大学院を修了して、大手企業か官公庁に就職する」という、“元のルート”とは地続きではなくなっていましたが、何となく戻れる期待を持ち続けていました。

しかし、その淡い期待はこのセリフに打ち砕かれました。


もはや、“元のルート”には戻れないのだと悟りました。

しかしそれは同時に、“新たなルート”を示唆するものでもありました。

そこからは、あくまでできる限りの範囲だけでですが、できる限りのことをやりました。それが結果的に、現在につながっています。


以上、各作品の中ではそんなに目立つシーンではないのですが、私的に大きな影響を受けたセリフです。

ちなみに筆者は雑食性で、アニメ・漫画の類はジャンルを問わず好きです。

なお、追加で思い出したり、新しく心に響くセリフに出会ったりしたら、この記事に追記します。

帰ってきたひきこもり

不登校・留年・中退・長期ひきこもりを経て、35歳で準公務員に受かり、二児の父になったはなし。